東京都美術館 〒110-0007 東京都台東区上野公園8-36 |
「世紀の日本画」展 前期2014.1.25〜2.25 後期2014.3.1〜4.1 東京都美術館開催 記者発表会
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2013 10/18 東京都美術館講堂で記者発表会が行われました。 |
日本美術の祭典 明日へ続くNIPPON
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―日本美術院再興100年 ― 特別展世紀の日本画 |
The Centennial Exhibition of the Japan Art Institute's Revival: The Masterpieces of NIHONGA |
日本美術院の歴史、それはまさに近代日本画の歴史そのものです。 この展覧会は、大正3年(1914)に日本美術院が再興されてから100年になることを記念し、草創期から現在まで院展の歴史を彩った名品の数々によって、院の歴史を振り返ろうとするものです。
… …その長い歴史には、狩野芳崖、横山大観、菱田春草、下村観山、小林古径、前田青邨、安田靫彦、小倉遊亀、平山郁夫ら近代日本画の巨匠たちが名を連ねます。 彼らの代表作に現役同人の作品を加えた、重要文化財6点を含むおよそ120点を紹介する、文字どおり「世紀の日本画」展をどうぞご期待下さい。 …主催者 |
展覧会のみどころ
1. 重要文化財が6点、出品されます。 2. 近代日本画をけん引した院展オールスターズによる、夢の競演です。 3. 全国約60ヵ所から近代日本画の名作が結集したまたとない機会です。 前後期で作品を総入替し、院展の全貌をご覧いただきます。 4. 現役同人の出品作は、日本美術院賞(大観賞)受賞作を紹介します。 |
展覧会会期: 2014 1/25(土)―2014 4/1(火) 前期:2014 1/25〜2/25 : 後期:2014 3/1〜4/1 会場: 東京都美術館・企画展示室 (上野公園内) |
画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
日本美術院再興100年「世紀の日本画」 記者発表会 '2013 10/18 |
日本美術院の巨匠たちの伝統と歩み
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「展示構成」 ―本展覧会 「世紀の日本画」 PRESS RELEASE より抜粋して掲載しています― |
本展は、再興から100年を記念して日本美術院の歴史を前史からたどり、現在同人として活躍する作家(現役同人32作家)の初期作まで、重要文化財6点を含むおよそ120点を展観します。 狩野芳崖、横山大観、菱田春草、下村観山、小林古径、前田青邨、安田靫彦、小倉遊亀、平山郁夫といった近代日本画の巨匠たちの代表作がならぶ、文字どおり
「世紀の日本画」 展です。 |
「本展の構成」 第1章 名作で辿る日本美術の歩み 第2章 院展再興の時代 大正期の名作 第3章 歴史をつなぐ、信仰を尊ぶ 第4章 花、鳥、そして命を見つめて 第5章 風景の中で 第6章 幻想の世界 第7章 人のすがた |
'2013 10/18 展覧会の概要説明会(東京都美術館講堂)でのスライド映写の画像です。 |
第2章 院展再興の時代 大正期の名作 横山大観、菱田春草とならんで前期の日本美術院をけん引し、また岡倉天心の教えをもっとも忠実に作品にあらわすことの出来た画家が下村観山である。再興にあたっても大観を助けて運営に尽力した。 ・【前期】 下村観山(1873-1930) 《白狐》 大正3年(1914) 東京国立博物館所蔵 2曲1双 紙本彩色 岡倉天心は亡くなる直前に、英文によるオペラ 「白狐」 を書いた。 この作品は、天心没後一周忌を機に再興された日本美術院の展覧会に出品されたものであり、観山の天心に対する思慕を感じさせる。 |
第4章 花。鳥。そして命を見つめて 安田靫彦、小林古径と院展の三羽烏と称された前田青邨。 だが、その作風は靫彦や古径よりも重厚かつ装飾的なところがあった。 ・【後期】 前田青邨(1885-1977) 《芥子図屏風》 昭和5年(1930) 光ミュージアム所蔵 6曲1双 紙本彩色 金地に緑青による芥子の規則正しい表現は尾形光琳などの作風が意識されたものだが、単純なパターンではなく精密な写実を基礎に置いている。 |
第6章 幻想の世界 伝統的な古典研究から都会的、前衛的な表現まで、多彩多様な表現を試みた岳陵の存在は、昭和戦前期の院の画家たちを大いに刺激した。 ・【前期】 中村岳陵(1890-1969) 《婉膩水韻》 昭和6(1931)年 静岡県立美術館所蔵 6曲1隻 紙本彩色 岳陵は当時、日本画におけるモダニズムを追求していた。 「水に泳ぐ全裸の女の或る神秘的な深さと、装飾的色彩と、現実的な雰囲気とが渾然と融和した境地を求めた」 と岳陵は語っている。 |
日本美術院 |
日本美術院は、明治31年(1898)、岡倉天心の指導理念のもとに横山大観、下村観山、菱田春草ら26人によって、開院しました。 天心の理念は、日本文化の伝統を踏まえ、文化財を保護しかつ芸術を奨励して未来につなげる道を指し示すものでした。
大正2年(1913)に天心が逝去、一周忌を期して横山大観らによって再興され 「藝術の自由研究を主とす。 教師なし先輩あり、教習なし研究あり。」
と宣言しました。 以来、近代日本画の革新を目指し、創立の精神を軸に研鑽を重ね、独自の発展を遂げました。 在野の研究団体がその芸術活動を110余年にわたって継続した、世界的にも稀有な例といえます。
先人の刻苦精励によって築かれた伝統は、近代日本画の歩みと重なりながら、今に受け継がれています。 |
日本美術院 略年譜 |
・明治11年(1878) 8月、アーネスト・フェノロサが東京大学の教師として来日、岡倉天心と出会う。 ・明治17年(1884) フェノロサ、天心らが鑑画会を発足。 ・明治21年(1888) 狩野芳崖が 《悲母観音》 を制作。 ・明治22年(1889) 東京美術学校が開校。一期生に横山大観、下村観山らが入学。 ・明治31年(1898) 3月、天心が東京美術学校(現東京藝術大学)を非職となる。 7月、日本美術院の設立趣意書を発表。10月に開院。主幹に橋本雅邦、天心は評議員長となる。 ・明治38年(1905) 天心が茨城・五浦に六角堂を建立。翌年、日本美術院第一部(絵画)を五浦に、第二部(彫刻)を奈良に置く。 ・大正2年(1913) 9月、天心が赤倉の別荘で没する。 ・大正3年(1914) 9月、天心の1周忌にあたり、大観、観山、木村武山らが日本美術院を再興し、開院式を挙げる。 10月、再興第1回院展を日本橋三越旧館にて開催。 ・大正15年(1926) 9月、新設された東京府美術館(現東京都美術館)で再興第13回院展を開催。以降、毎年同美術館で開かれる。 ・昭和33年(1958) 2月、大観没する。5月、財団法人化が認可され、初代理事長に安田靫彦が就任。 ・昭和40年(1965) 9月、再興第50回院展を東京都美術館で開催し、50年を記念して、院展芸術の歩み展(戦前)を東京国立近代美術館で、同展(戦後)を銀座松坂屋で開く。 ・平成10年(1998) 3月、創立100周年記念特別展「近代日本美術の軌跡」を東京国立博物館で開催。 ・平成25年(2013) 9月、再興第98回院展を東京都美術館で開催。 |
お問合せTel:03-5777-8600 (ハローダイヤル) 公式サイト:http://www.nichibisai.jp 主催:東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、 日本美術院、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社 協賛:日本写真印刷、三井住友海上、三井物産 |
参考資料:特別展「世紀の日本画」 PRESS RELEASE 他。 |
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